VelvetWords Music Blog
ポエティック・ライフ
Poetic Life
原点 | VelvetWords Music
どうして詩というものを書き始めたか、自分でもよく分からないが、その原点となるある経験については今でも鮮明に覚えている。
あれは、確か小学4年の初夏のある日、下校時のことだったと思う。家の近くまで歩いてきた僕は、波のように風に若葉をなびかせる麦畑の光景に目を奪われ、しばし足を止めた。自然の織りなす様は、総じて美しく儚い。ただの一瞬も同じ姿をとどめることはない。風は草木を揺らし、光は無限のコントラストであらゆるものの色調を変えてゆく。麦畑もそのように美しくも儚く愛おしく僕の目には映ったのだ。今思えば、それは一種の瞑想的な体験なのだが、幼い僕にはただ、メランコリックな感覚というににとどまっていた。その感覚は、母性への恋慕にもつながっていて、深く大きな慈悲心を「自然の営み」の風景のなかに見出していたのかもしれない。だから余計にメランコリックだったのだろう。この感覚は、生涯を通じて僕に宿り続けるのだが、この時、言葉はまだ紡いでいない。
話は、ここではまだ終わらない。しばらくそうして麦畑を眺めていた僕は、ふと足元に目を落とした。その刹那、別の何か、もっと大きな得体の知れない感覚が僕に去来してきたのだ。それは、問いといってもいい。「なぜここに存在するのか?」という問いだ。ただ単に去来したのだ。僕という存在は、父母が出会わなければ、さらに祖父母が、さらにその先祖たちの出会いがなければ、成立しない。その出会いをすべて消去していけば、僕も、父母も、祖父母も存在しない。起点にまで遡って消去することができれば、この世に誰も存在することはない。宇宙でさえ、存在することはない。では、なぜ僕はここにいて、世界は目の前にあるのか。この問いは、瞬く間に僕の小さな体に充満し、僕をぐるぐると浮遊させ始めた。存在しなくてもいい僕が、存在についての思いにとらわれている。僕の脳は崩壊し始めた。自律神経の回路は、ショート寸前だ。これは、考えではなく、感覚なのだ。脳は、この問いを解析することはできない。僕は、自身が崩壊する前に、かろうじてこの感覚を振り払った。以来、僕はこの感覚ともずっと付き合っている。
言葉は、存在の本質を解き明かすツールにはなり得ない。そんなことは分かっている。でも、そこには言霊が宿り、断片を伝えることはできる。詩と出会うのはまだずっと先の話だが、この2つの体験が、僕の詩のルーツになっていることは確かだ。
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